1958年。昭和33年生まれ。
住む場所に水道が通った年に生まれたのでいづみと名付けられる。
父親と父親のような性格の母親のもとに育つ。
父は歌舞伎に携わる会社で多忙、第二の父である母は父のアシストで多忙、実質父親が2人いるような家庭で育ち、厳格な放任主義、怒られたくな〜いと。
いづみは何かアクシデントがあるとセコイ嘘でその場をのりきる!そんな能力を磨き続け、逆に人に謝罪する能力を失う。兄貴の名前は耕三。長男なのに耕三。
いづみの人生はたくさんの編成で構成される。
幼少期の「五番町マンション編」
五番町マンションという、当時大変珍しいエレベーターのあるマンションに住んでいたいづみ一家。そこでとある歌舞伎役者の一家と家族同士の交流をしつつスクスク育つ。代表エピソードは
1、「エレベーターのボタンを押したい欲望、バットを持ちたい欲望。バットを持ったエレベーターガールの誕生」
2、「号泣必至、トンカチをもって興奮したのりちゃん(のちの18代 中村勘三郎)にマンション中を追いかけ回されたサムデイ」
幼稚園から大学まで学習院に通ったいづみは、友人オールチェンジの存在しない学園生活の中で育ち、トモコを主軸としてたくさんの友人と涙のお別れをせずに基本ずっと一緒ですごしていた。
いじめっ子かいじめられっ子かと言われればいじめっ子のポジションを獲得し続け、優雅で勝ち組な学園生活を送る。
小学校代表エピソードは
1、「モンキーズのライブに行った」
2、「ソフトボール部に入ってやめたら先輩に泣かれた」
61歳が思い返す小学校の時の記憶は、きわめてうすい。
「学習院スクールライフ高等科・ドジでシャッキリ運動少女編」
高校時代のいづみには光と陰、2つの顔が存在する。
その光の部分。いづみは聞き上手で時折重みのある言葉を言うことから「いづみは駆け込み寺みたいなとこがあった〜」と当時の友人に言われるほどであった。
そしていづみは運動神経にも恵まれており、そう言うキャラであった。高校からテニス部に入部、のちに部長に推薦される。しかし推薦された理由はうまかったからでなく、部内の抗争の中で、タカ派にもハト派にも所属しないでボ〜〜〜〜っとしていたいづみに白羽の矢が立ったからであった。
代表エピソード
1、「血だらけ!しゃべりに夢中すぎて電車とホームの隙間にズザザザザ!と滑り落ちかける」
2、「草刈正雄!街で見かけた草刈正雄にサインくださいと言ったらロケ中でテレビに出ちゃった、銀座です」
「学習院スクールライフ・夢見る夢子さん編」
高校時代のいづみの光と陰、2つの顔のうちの陰の一面。それがが恋に恋する自分に恋した「夢見る夢子さん編」である。
「あのころの私って夢見る夢子さんだったから〜」というセンス皆無の枕詞から語り出されるエピソードは、叙情的で、甘い。
夢想三昧恋愛三昧乙女チック三昧のいづみの妄想は、特殊な文体で、多種多様な媒体で、ほとばしった。
海外に高飛びした兄貴の友達エンドウ君へ3年にわたり送り続けたエアメール、友人たちと交換し続けた手紙、ノートに綴られたおびただしい数のポエム、くらもちふさこ漫画への解釈、荒井由実の歌詞世界への解釈、そして大ヒット映画「追憶」の作品世界への解釈。
それらを全て妄想した場所は、今はもうない喫茶店「ワルツ」であった。
代表エピソードは
1、「ロバートレッドフォード出演作「追憶」を立ち見で1人で鑑賞、号泣、そのまま3上演続けて鑑賞、人生のバイボー誕生」
2、「喫茶店「ワルツ」の店員の猫ちゃんと一度だけのドキドキデート。別に好きだったわけじゃないけど嬉しかったです」
「学習院キャンパスライフ・前編」
なんの苦労もせず大学へ上がったいづみ。ちゃらいやつらがチャラリと経済学部にいくなか、何を思ったか仏文科にはいる。
そこで神宮に出会い仲良くなる、神宮は真面目で勉強家な女の子だが筆圧がうすく、カンニングがしづらかった。邪悪の権化であるいづみは神宮に2Bの鉛筆を持たせてこれで書けと命令し、無事に健やかなカンニングライフを手に入れる。
そしてなにより、大学には「夢見るwww夢ww子ww」のいづみの憧れであった男、男、男がたくさん!本当の男の人とウフフキャハハと出かけることが現実になった。
代表エピソード
大学1学期の午後「授業サボって湘南の海行かな〜い?」とトモコからお誘いを受け、西野のオンボロぐるまに乗り、湘南の海でキャハハウフフと遊び、帰り道に横浜新道で後続車に煽られ、からまれ、サイドミラーに唾をかけられ、終わる。
「おれ、あの時いづみのことかわいいって思ってたんだぜ〜って言われたんだよね〜」とこっちに言われてもしらけます。(娘より)
ところで大学は水上スキー部にはいり、宿命のアンチクショウ、山内邦裕とのファーストコンタクトでありワーストコンタクトを果たす。
「学習院キャンパスライフ・後編」
ところでいづみは水上スキー部であり、持ち前の運動神経を生かし水上スキー部の1年生の時に部門別新人王。3年生の時に部門別の学生チャンプになるほどであった。
その部活の中で、1人の彼氏のリキ、乗り換える形で2人目のノウチ、乗り換える形で2歳年上の西川さんと付き合う。西川さんとはおおよそ1年ほど付き合うが2、3個の理由で別れる。
その後しれっと再びノウチと付き合い、岩崎さんやミズシたちとスキーに行ったりとトリプルデートをして遊ぶ。
「結婚こそがゴール!大学卒業結婚適齢期編」
大学卒業し半年の花嫁修業を完了したいづみ。当時の彼氏である山内同い年だが2回目の大学4年生の真っ最中であった。
結婚まで暇だったので、父親のツテをたぐり出版社の営業課で、おおよそ2年アルバイトすることになる。
そのあいだに結婚相手有力候補であった山内は新米商社マンとして働き出し、うかれ、ぽんちと遊びまくっており結婚どころか現在の謳歌で忙しかった。
いづみは結婚がしたかった、ゴールと思っていたからである。
そしてある日。36歳の出版社の編集者に誘われ、何度か食事に行き、結婚しませんか?と言われ、悩む。
東大卒、出版社編集、高給取り、本が好きな男。申し分ない条件。
いづみは悩み、何を考えているのか考えていないのか、別れ話を切り出そうと思った日に山内が高いところにあるものをヒョイと取ってくれた事にトキメキ、結局山内君と27歳の11月10日に結婚をする。
「物語は序章に過ぎなかった!八面六臂の背水の陣ニューヨーク駐在員妻編」
86年に裕香88年に晶を産み、 89年に転勤でニューヨークマンハッタンから電車で45分の田舎であるスカースデールに住み始める。
スカースデールはリスやスカンクやアライグマが走留守的なところであったが、当時3歳の長女8ヶ月の次女。海外の免疫の違いから40度の熱を頻繁に出す日々。
一人きりで異国での育児はいづみの実力ではマジムリであった。
頼みの夫もいっぱいいっぱい症候群にプラスして会社の下っ端であったことから出張ばかりでイナイイナイ症候群でもあった。
そんないづみを助けたのは、同じく駐在員妻の後藤さんと、初めて外国でできた親友のジャネットであった。
特にジャネットは、頭が良かったのか、無茶苦茶な英語を話すいづみの言葉を気にせず、理解し、打ち解けた。
チャイナタウンに連れて行ってくれたり、アメリカ人たちのカントリーダンスのパーティにも連れて行ってくれたり、アジアンソサエティーで私たち頑張ろうね、と言ってくれたり、いづみの人生の中で燦然と輝く経験の、「ワン」を踊るきっかけもくれた。
ジャネットはアメリカを謳歌するきっかけとなってくれたのである。
アメリカで住みやすくなった頃に帰国事例が出た。ジャネットとは涙で別れたのに、だんだん、手紙を英語で書くのが、できなくなって、思い出すだけになった。
いづみの人生の恩人の1人、好きな人間の1人、ジャネットはアメリカにいた。
「無事帰国!案外いいじゃんママ友ライフ編」
アメリカから無事に帰国し、クニヒロの実家的で二世帯住宅とまでは言わないものの舅と姑とご近所に暮らし始めるいづみ。
そして子供は近所の公立の学校へ。
お嬢様育ち&エスカレーター女学校出身のいづみは、初めての公立ママ友コミュニティを前にして緊張。
なじめるかしら……なじめました。
ママさんバレーをはじめると飲み会に誘われ、飲み会大好き、行って見た、するとそこは駅前ガード下の焼き鳥屋。
こんなとこに10人お座敷あるの……ありました。
千利休の茶室がごとき小上がりを上がると、そこには立派なお座敷。
そしてそこでガハハハ!と豪快にビールを飲む豪快な女性と目があった。それがのちの、いづみの人生の風雲児、八木ハリケーンよしみとの出会いであった。
代表エピソード
1、焼きとうもろこし!ママ友軍団でPTA開催のお祭りでビールを飲みながら焼きとうもろこしを100本売って大好評
2、次女が女友達ができる予兆がなく、男友達とばかり遊び続ける
そして現在まで、ジャニーズ、韓流ドラマ、次女の演劇、様々な媒体を食い散らかしながら、父母の介護に翻弄されたり自身の病気に翻弄されたりしながら
好きなスイカのカリウムの量を気にしながら貪り食い、今に至る。